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墓前に立つとき、人は初めて、自分の歩みがどれほど静かに過ぎてゆくものかを知ります。昨日まで交わされた声、手のぬくもり、共に見上げた季節は、今は記憶の中でかすかに揺れています。しかし詩編は、その沈黙のただ中で告げます。
「主よ、あなたは代々にわたしたちの宿るところ」(詩編90・1)。

人は塵に帰り、草のように朝に咲き夕べにしおれます。けれども、神の慈しみは枯れません。墓は別れの深さを語りますが、それ以上に、今日という命がどれほど尊いかを教えます。もう一度会えると思っていた人に会えないことがある。いつか伝えようと思っていた言葉を、伝えられないままにすることがある。忙しさの中で見過ごした笑顔、何気なく受け取っていた親切が、あとになって胸の奥で光り始めることもあります。失ってから初めて、共に過ごした平凡な一日が、実はかけがえのない恵みであったと知るのです。

だからこそわたしたちは祈ります。
「生涯の日を正しく数えるように教えてください」(90・12)。

愛を先延ばしにせず、感謝を惜しまず、赦しを明日に残さず、今日という一日を神の前で受け取りたいのです。去った人を思う涙が、ただの悲しみで終わるのではなく、残された日を誠実に生きる祈りとなりますように。悲しみの夜にも、主は朝の慈しみを満たしてくださいます(90・14)。その慈しみに支えられて、わたしたちは再び人を愛し、再び神を仰ぎ、再び歩み出します。わたしたちの手の働きを主が確かなものとしてくださり(90・17)、いつのか地上の旅を終えるとき、永遠なる神のもとへ帰る者でありますように。

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